2005.01.17

注文の多くない料理店

旭川に帰省中、友達に「やまねこ軒」という洋食屋さんに連れて行ってもらった。
「やまねこ軒」。宮沢賢治の『注文の多い料理店』に出てくる「山猫軒」から名前をもらったんだろうと思う。
宮沢賢治は実はあまり得意ではない。小学生の時に『風の又三郎』を、もう少し大きくなってから『銀河鉄道の夜』を読んだけれど、どうも馴染めなくて。文体が個性的というか、ポエティックというか、起承転結がわかりにくく、頭の悪い子供には理解しにくかったのだ。
しかしその中にあって、『注文の多い料理店』はとても好きな話だった。短くてすぐ読めるし、わかりやすくゾッとするけどおもしろかった。他は『よだかの星』や『セロ弾きのゴーシュ』は好きだった。「児童文学」より「童話」が好きということかも。
そんなことを思い出しつつも、やまねこ軒はおいしく、ボリュームたっぷりの人気店だった。
私は海老フライセットを、友達はハンバーグのセットをオーダーした。ふたつともとっても大きいのが出てきた。帰省中で生活感が欠落したせいか、いくらだったか忘れてしまったけれど、大満足な値段であった。久しぶりに会った友達との会話がはずみ、待っているお客がいたのにもかかわらずついゆっくりコーヒーを飲んでしまった。

道がわからないので私はまた行けるかどうかわからないけれど、旭川においでの方はぜひどうぞ。

やまねこ軒
北海道旭川市流通団地2条2丁目 0166-47-8817
営業時間 午前11時−午後2時、午後5時−11時 火曜休

HPがTOPのみなのはしかたないとしても住所と電話くらい入れてほしかった…

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2005.01.13

旭川

帰省して旭川に居た。
地元が寂びれていくのを見るのはなんともさびしい。人口は私が住んでいた頃から36万人と変化がないのに、なぜ街なかが閑散としているのだ? 考えてみた。
地元の人以外興味ないと思うけどちょいと語らせてください。旭川市は電車がない。もちろんJRは通っているけれど、一駅が長いので気軽な足というわけにはいかないのだ。市民の公共の交通手段はバスということになるが、どこの地方都市も車の所有率が高いように、旭川市民もかなりな確率で自家用車で動いている。駅前の中心街が恒久的に歩行者天国になっていて、車が止めにくいこともあるのか、車を持ってる人は郊外に買い物に行くようだ。車で動く人が多いということが、旭川の繁華街、通称サンロク街(3条6丁目界隈だから。山の麓じゃないよっ)の不景気にも関係していると思う。車の所有率が高まったのは昨日今日のことではないが、郊外型大型店がどんどん増えて、駅前の中心街に魅力がなくなったのかもしれない。去年メールチェックしに立ち寄ったまんが喫茶もつぶれてたし。どうしたら人が戻ってくるんだろう。きれいなイルミネーションも観る人が少ないとなんだか切ない。

金曜の夕方、セール中の街に出てみた。どこも客足が鈍い。
駅前の西武。ここは私が昔住んでいた頃よく買い物に出かけたデパート。こことOKUNOというファッションテナントビルが主なお買い物スポットだった。OKUNOも西武もテナントはずいぶん変わったけど、西武の古び方は目に余る。1階に若い販売員がいないのだ。失礼ながら50歳前後…以上。化粧品売り場はさすがに若いみたいだったけど、こちらはおそらく化粧品会社のBAだと思う。他の階もテナントの販売員は普通に若い女性だった。1階はデパートの玄関口。私はもっと華のある、若手社員を据えたほうがいいように思う。靴やバッグを勧める販売員が「これが流行ってますよ、お似合いですよ」と頑張っても、自分の母親みたいな年齢の人から若いコたちは買うだろうか。もちろん年齢なりの経験も役立つことは多いかもしれないし、年齢が高いからと仕事のできる人を辞めさせろと言うのではないけれど、もう少し若い人も置いてはどうだろうか。それとも今の西武は高齢者狙いなのかなぁ? 自分だって若くないのにこんなことを言うのはアレですが、なんかやっぱり地味な印象に思える。

地元を捨てた私があれこれ考えてもしかたないのだけれど、もしかして夏はもっと活気があるのかもしれない。旭川の冬は厳しい。温暖化で昔ほどじゃないけど。昔はマイナス20°なんてザラだった。午前6時の気象庁発表の気温がマイナス19.6°以下になると学校は授業開始が1時間遅れ。そんなことが年に何度もあった。今は滅多にないみたいだ。地球規模で言うと温暖化は相当まずいことだけど、旭川あたりではむしろ歓迎してるんじゃないだろうか。不謹慎なことを言えば本気で温暖化防止に協力する気に、あまりならないんじゃないかな。
話が逸れたが、冬は寒くて家に居るだけで、春がくると街なかもそこそこのにぎわいを見せるのかもしれない。そうあってほしいと思った。

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2004.12.11

R高校温泉部OG会

広島〜鳥取に行ってから一ヶ月近く経っちゃったのでさっさと写真まとめてアップしよう…と思ったら、九月に行った温泉のアップもまだだったことを思い出した。そんなわけでだいぶ時間がたっちゃったけど温泉に行ったときのことを書きます。いつもにも増して退屈な日記だと思うけど本人は楽しかったのでまぁつきあってください。

高校時代の友人hとふたりでR高校温泉部OG会で、石和温泉に行ってきた。
私達の母校R高校には昔から温泉部はない。たぶん今も。だからOGしかいないのだが、ふたりで温泉に行く時は「部活」と呼んでいる。部活は今回3度目。場所は1回目熱海、2回目箱根ときて今回石和に決まった。
友人hは北海道からやってくるので、交通費削減のため飛行機のバーゲン期などを狙う。東京行きだと便が多いので東京から近い温泉地から選んでいる。ふたりで連絡をとりあいながらどこに行こうか考えるのはとても楽しいのだ。車がないから交通の便がよくて、観光も楽しめるところが望ましい。石和に行くと別の友人に言ったら、何やら意味深な顔をして、石和温泉は男の人が喜んで遊びに行くところというような話を聞かされた。でももう決めちゃったし、決定決定。

▼絶版ですが参考になりました
jiyu_jin今回場所を決めていたころはちょうど白骨温泉の入浴剤や、伊香保温泉などの水道水疑惑などが話題になっていた頃だったので場所の決定には慎重になった。雑誌、ムック、インターネットを駆使して“源泉掛け流し”を売りにしている宿から探した。1年くらい前に買った「自遊人」というオヤジ雑誌の「源泉掛け流し特集」の中にあった、糸柳という旅館が良さそうだった。場所を見ると石和。山梨県だ。新宿から中央線で約90分。おお、これはもってこい、ということで石和名湯館糸柳に宿泊決定。山梨県はちょうどぶどう狩りシーズン真っ盛り。遊ぶのにもちょうどいい。この糸柳という旅館は温泉通で知られる(?)忌野清志郎が「自遊人」の中ですすめていたのだ。あんまりよくなかったら清志郎を恨むことにして、とある9月の晴れた日、私とhは石和温泉に向かった。

2泊3日の小さな旅だ。
新宿駅で待ち合わせてビールとおつまみを買ってあずさに乗り込んだら、あっというまに着いちゃった。
石和温泉は、昭和30年代に温泉が出た比較的新しい温泉地だ。駅のそばに観光案内所やお土産屋さんがあるものの、渓谷などがあるわけでなく、温泉街といった風情はあまり感じない。西友なんかがあって普通にみんなが生活してる地方の住宅地って感じだ。
チェックインまで時間があるので、荷物だけ旅館に預かってもらい、近所のワイン工場を見学した。見学はさせてくれるんだけど…この日は日曜日。工場は動いていなかった。ふ〜ん、と観てまわり、ワインやジュースをちびちび(だって試飲用のコップ小さいんだもん)飲んで、あっというまに見学終了。国産ワインってどうして甘いんだろうね。あんまり辛口なのは苦手だし、ワイン通ではまったくないんだけどどうも甘ったるく感じることが多い。ま、そんな感想はさておき、チェックインまではまだまだ時間があるので、何か歩いて行ける観光名所はないかと調べて、「信玄の里」というところに行くことにした。山梨と言えば武田信玄だ。そうなんでしょ? よく知らないけど。この信玄の里に信玄像があるそうなので、そこで観光写真でも撮りましょうということになった。
ちょっと歩くとそれはあった。入り口に大きな信玄像。とりあえず写真におさめて信玄の里へ。
信玄の里とは、お土産屋さんと宝石庭園だった。私は何か信玄ゆかりの資料館か何かだと思い込んでいたのだが、名産の宝石で庭園を作ったらしい。有料だったのでパスしましたハイ。
まだまだ時間はある。どうしようかhと話し合って、旅館に着いてから必要になりそうなものを買いに行くことにした。100均のCAN DOとか西友で買い物をして(なんか旅行っぽくない…)やっとチェックインの時間になるかならないかという頃旅館に行った。

▼窓からの景色
103_0364糸柳はなかなかいい旅館だった。部屋の窓から見下ろす先には川で鴨が泳いでる。水もきれいでときどき魚が泳いでるのも見える。向いに小学校があったり、普通の住宅があったり、野趣溢れる外観なんてのはなかったが、遠くに山が見えてそこそこのんびりした景観。

部屋でくつろいで、さっそく夕食だ。
今回、宿泊にはネットで見つけたクーポン券を使った。一日目は休前日でちょっとお高いプラン、二日めは安いプランなのでちょっと差があるのだ。一日目には貸し切り風呂使用権がついており、食事も部屋出し。
食事は超盛り沢山。でも全部食べましたよ。もったいないもん。さすがにほうとう、釜飯、白いご飯の炭水化物3連発はキツかったけど。でもおいしかったぁ〜〜。味が上品でね。甘過ぎず辛すぎず。ゆっくり堪能した。


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そしてその後、貸し切り専用風呂がと〜〜〜〜っても良かったのだっ。
貸切風呂は作られてからまだ数年ということだが、木の温もりが感じられる素朴で古めかしい作りになってる。天井が高くて、照明にも凝っていて、ぼんやりほの暗い明かりが湯舟に向けられていた。お湯は透明で温泉臭もないけど滑らかで明らかに水道水とは違〜う!

部屋に帰ってもまだ空腹とは言い難い状況だったが、ワインで持ち込んだチーズや乾きものをつまみながらまた満腹状態に持ち込み、就寝。

翌朝はレストランでの朝食。しっかりした朝食のほかにバイキングが付いて来て、つい欲張ってまた満腹になる。これはいくらなんでも食べ過ぎだ。hと、昼は軽めに蕎麦を食べようということになる。…蕎麦と言えども昼は抜かずにしっかり食べる気満々なのよね。我ながら凄まじい食欲。

二日目は武田神社見てから昇仙峡に行って滝を眺め、影絵美術館を観る予定。
きのうの信玄の里はちとはずしたが、武田神社こそ信玄ゆかりの神社。まぁ私もhも武田信玄になんの思い入れもないし(歴史には疎いし戦国武将なら信長のほうが好き)、神社仏閣めぐりの趣味もないんだけど、とりあえず行っとけ、というかんじだったのだ。それでも武田神社は広々していてなかなか清々しい。パンパン、とお参りしておみくじ引いて(大吉!)、水琴窟という地面に埋められた竹筒に耳を澄ますと琴の音が聞こえると言う不思議なしくみで癒しの音を聴き、「信玄茶屋」という茶屋でひと休み。あんまりのんびりしても時間がなくなっちゃうので昇仙峡に向かった。

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昇仙峡はなかなか広くて、ハイキングコースになっていて、美しい景観の観光スポットだった。

「ハイキングどうする〜?」
「え〜だるーい。時間もないしね」

ということで滝を観たあと蕎麦かっこんで、バスで影絵美術館に。
観光地に行くとなんでこう美術館が多いのかな? オルゴール美術館とか、ガラス工芸とかトリックアートとか、あっちこっちにない? 伊香保の竹久夢二とか、箱根の森とか星の王子様ミュージアムとか予想外に内容が充実していて感心することもあるけれどね。
影絵美術館は予想よりずっとよかった。影絵アーティストの藤城清治さんは私位の世代の人にはとても馴染みのあるアーティストだと思う。ずいぶん長いこと宇津救命丸のテレビCMで作品が起用されていたし、木馬座のケロヨンやベーパックなどのキャラクターも大好きだった。大きな瞳の三角頭巾の小人たちが横笛吹いたり遊んでいたりする図柄を観ていると、とても懐かしい気分に浸れる。影絵って不思議で、郷愁と同時になぜか寂しさやもの哀しさも感じさせるところがある。それは嫌な感じでは決してなく。もう二度と昔には戻れないんだなぁ、なんて感じのセンチメンタリズムとでも申しましょうかね。大作がたくさん展示されていて、美しさに圧倒される。水や鏡を用いた展示演出も効果的。そんな感じでしばし魅せられた。常設で山下清さんの作品の展示や内海桂子さんの展示も多数あり、ゆっくり観て回った。水木しげるさんの作品展示も開催されていて意外な場所で大好きなねずみ男さんの絵も観ることが出来た。

103_0387石和温泉駅に戻ってきて、また西友で買い物し(好きだよねぇ)宿に戻った。
2日目の夕食は1日目より少々ランクダウンということで、部屋出しではなくお食事処で食べた。ランクダウンとは言ってもやはりすごいごちそうで、またしても食べ過ぎた。
お風呂も貸切はなしだが、それほど混んでいず、露天もとても気持ちよかったので大満足だ。
明日もう帰っちゃうんだよね、しょぼーんなどと語り合いながらまたワインを片手に遅くまでしゃべっていた。

翌朝もしっかり朝ご飯を食べ、チェックアウトの時間ギリギリまで宿で過ごした。
3日目はぶどう狩りをする予定。雨に降られなくてよかった。朝食からまだ間がないため、すぐにぶどう狩りに行くのはちょっとキツいと考え、一日目に行ったワイン工場とはまた別のワイン工場を見学することにした。1日目は工場が閉まっていたからすぐ観終わっちゃったけど、今回はもう少し時間が持つんじゃないかと、ぶどう園方向のワイン工場に行った。なるほど、工場が動いているとちょっと楽しい。バスでやってきた観光客についていたガイドさんの説明を盗み聞きしながらフンフン、と観てまわった。試飲もたっぷりいただいて、午前中からほろ酔い気分でご機嫌だった。

103_0393さて最後のイベントぶどう狩り。
ぶどう狩りは初めてなので張り切っていた。絶対元を取ってやる〜とセコい意気込みでおいしそうなぶどうを物色した。思ったより低料金。巨砲がなかったからなのかな。ぶどうは黒いの、緑の、茶色いのの3種類。全種類制覇して、それから特に気に入った黒いのを2房食べたからかなり食べた方だと思う。もう満腹でお昼ご飯は無理。初めてのぶどう狩りはあんまりたくさん収穫できないのがちょっと残念だった。きのこ狩りとか栗拾いならもっとたくさん採れるでしょ? そういうイメージだったのだ。お土産買うわけじゃなし、あんな大きいものそんなにいっぱい採るわけないんだけど。

ぶどうでタプタプになった胃をおさえつつ、かいじにて帰る為、駅に向かった。
それでもめげずに帰りの電車の中でも飲み食いを続ける私達なのであった。夕方新宿駅に着いて、友人はその日妹夫婦の家に泊まる為、丸の内線駅まで見送ってから帰路についた。

体重は有り得ない程増加していた。

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2004.11.12

広島にきたよ

一度使ってみたかったモブログ。
苦労して設定したので早速使ってみた。Mac-IEだとアンダーバーの入ったアドレスがはねられちゃうなんて知らなかったYO!ココログスタッフさんよろしく頼むYO!
YO!ってどうでしょうこの浮かれ具合。
仕事ほったらかして広島に遊びにきております。今空港に着いて福山に向かうバスの中。
写真の一枚もアップしたいところだけれど、私は悲しき503。携帯にカメラなどついておりません。そろそろ代え時かなぁ。お正月帰省するしなー。
ってなわけでいつもに輪をかけてくだらないことを書いて失礼いたしました。

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2004.10.30

ハロウィンと北海道の七夕

明日はハロウィン。でもだから何かをしたってことは一度もないけど。
ハロウィンには仮装した子供たちが近所の家を回ってお菓子をもらう慣しですが、北海道にもそれに似た風習がありました。今も行っている地域があるかもしれません。
北海道の七夕は仙台七夕と同じ、八月七日に行います。笹はあまりないので堤防で小さな柳の木を切ってきて、短冊などを飾ります。そして七夕の夜、近所の子供達が5〜6人グループで、浴衣を着てちょうちんをぶら下げ、近所の家庭を回ってろうそくをもらうのです。私の頃は浴衣着るのは女の子だけだったけど。

ろうそく出〜せ 出せよ〜
出さないとかっちゃく(引っ掻く、の意)ぞ〜
おまけに喰いつくぞ〜♪

と玄関先で歌うと、家の人が出てきて、ちょうちん用の小さなろうそくをくれるんです。町内を1、2時間廻ると結構たくさん貯まるんですよね。なぜろうそくを集めるのかはわかりません。ろうそくのかわりにお菓子やお金(10円〜50円くらいだったかな)をくれる家もあったけれど、なぜかろうそくをもらうのがうれしかったです。ろうそくなんて七夕のとき以外、使うことはなかったのにたくさん貯まるとうれしくて。まぁそのときもらったろうそくは翌年我が家に訪れた子供達に配られるので、子供のいる家庭をぐるぐる回っているだけと言えなくもないのですが、近所とはいえ、年の近い子供がいない家庭とはまったくおつきあいがないので知らないおじさんやおばさん、おじいちゃんおばあちゃんと触れあうよい機会でもあったと思います。

私の10代の甥や姪は北海道で育ちましたが、このろうそくをもらう風習を知らないといいますから、少子化とともにあまり行われなくなっているのかもしれません。私もやっていたのは10歳に満たない頃まででしたが、参加しなくなって2、3年でうちに子供達が訪れることもなくなりいつまでそういった風習を続けていたかはわかりません。

東京に来てからこの話をすると、誰も知らないので北海道だけの風習のようですが、北海道の歴史なんて先住のアイヌ文化を除けば開拓団が入ってからせいぜい百数十年、独特の文化というよりは移住してきた人が元居た土地から持ち込んだ文化が根付いたのではないかと思うのです。北海道以外の土地でやってるところはないですかね?

七夕だけでなく、ハロウィンが近づくと思い出す子供の頃の楽しい思い出です。ハロウィンも、キリスト教でない限りあまり関係のない行事ではありますが、子供の頃のイベントって大人になってからのよい思い出になるので細かいことにこだわらずどんどんやったらいいのに、と私は思うんですわ。

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